2015年9月27日
母方の祖母が亡くなった。
祖母は苦労人と聞いている。既に他界している旦那は典型的な昔堅気な人で、職人気質で頑固一徹。結婚して子供は4人に恵まれた。生活はつつましく、近所の工場に勤めながら内職もしていた記憶がある。娘(私の母親)は小学校に通いながら妹たちの子守をしていたそうだ。
母親は中学卒業後に就職。当時のニッポンは高度経済成長の真っただ中にあり、企業はこぞって学生を積極的に採用。人口が右肩上がりに増えていたから、物やサービスの需要が増え、物をつくれば作るほど売れた時代。
そして7年後に私が生まれる。
祖母から見れば初孫で、私が小さい頃から優しくしてくれたらしい。物心ついてから叱られた・怒られた記憶はない。いつも味方をしてくれた。いつも褒めてくれた。
「すごいねぇ」
「がんばったねぇ」
「それは楽しみだねぇ」
だから、いつも安心して遊びに行った。
毎年元旦には祖母の家で年頭があった。祖母の具合が悪くなってからは自粛されたが、それまでは何があっても元旦の年頭には顔を出した。友達とオールで遊んでも、年越しのイベントがあっても年頭には顔を出した。年頭に行かないと何だか一年が始まらないような気がしていた。それを見た従兄弟たちも、同じように顔を出してくれた。
- 中学時代、部活で天狗になっていた時期もあった。
従兄弟が生まれ、とても愛おしいんだけれど気持ちを素直に言えなくて、周囲に当たり散らしたこともあった。 - 高校時代、酒・タバコ・麻雀にハマり、大みそかに徹夜で麻雀をして年頭に行き、こたつでずーっと寝ていた年もあった。
そんなだらしない孫を見ても、祖母はいつも笑っていた。そんな祖母が好きだった。お天道様が見ているのではなく祖母に恥ずかしい報告はできない気持ちで、祖母の前では目一杯背伸びをしていた。
最後に会ったのは今年初め。銚子方面の高校へ営業した際、時間の合間で少しだけ立ち寄れた。目は見えると聞いていたので、子供たちの写真を現像して届けた。
大きくなったねぇ、、、
立派になって、、、
擦れて消えてしまいそうな声で、昔を思い出すような笑顔で写真を何度も何度も見ていたことを思い出す。
そんな祖母はもういない。
第一報を母親から聞いた時、不思議と気持ちの動揺は無かった。この一週間がヤマだと聞いていたし、今年初めに挨拶できたこともあったのかもしれない。
お通夜に行って、祖母の亡骸を見て、改めて想った。
『人生一度きり、筋書きのないドラマ』
そして残す。
SNSは流れてしまうがブログなら残る。だから書く。
ブログは積み重ねた日々の証拠。
これからもお婆ちゃんに「よくがんばったね」って、語りかけてもらえるように、熱く駆け抜けよう。
お婆ちゃん今までありがとう。天国でゆっくり休んでください。